雨上がりブログ

天高く、馬肥ゆる秋。

2005/10/23 ディープインパクトが無敗で三冠を達成しました。

日本競馬の新たなるマイルストーンの誕生です。


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2ヶ月ぶりの更新はブランデッドエンターテイメントの在り方について。

昨日は、小山薫堂さんの東京ワンダーツアーズを、

本当に本当にありがたく楽しんだのですが、

やはり考えさせられるのは、ブランデッドエンターテイメントについて。


クォーターに1度しか放送されないこのドラマで、

僕は本編もさることながら、CM(広告)も本当に楽しみにしている。

手法的には、プロダクトプレイスメントというか、インフォマーシャルと言うか、

どちらにせよ、ブランデッドエンターテイメント的な手法である。

 ※ちなみに、この番組の協賛はNISSAN、DoCoMo、読売新聞です。

   前作(?)である東京ワンダーホテルは、NISSAN、DoCoMo、資生堂だったと思う。


21世紀のブランド創りはコンテンツとの共存で生まれると思う。

もしくは、

コンテンツの延長線上にブランドがある、というのが在るべき姿だろう。


僕個人としても本当にこの手法には興味があって、

ブランデッドエンターテイメントに関する書籍・雑誌・リリースは見ているのですが、

もっともっと勉強して、いい企画考えて、

WEBブランデッドエンターテイメントプロデューサーを目指したい。。。


一日遅れの箱根

乱暴な表現が許されるならば、今日という日は(つまり2006年の1月4日は)、僕は僕自身の中で、1日遅れの箱根を走っていたということができるかもしれない。


これは、2006年の1月4日23時30分から翌0時30分にかけての、東京のとある街での物語である。


1月4日。正月が明け今日より仕事が始まったが、予定よりも3時間くらい早く仕事が終ってしまった。帰り道に仲間と一軒寄り、十分すぎるほどのつまみを肴に、限界まで冷えたビールを2杯ほど(それは2杯とも見事に限界まで冷え切っていたのだ)、渇いた喉に流れるように喉に流しても、家に着いたのは11時20分。驚異的な早さである。


家に着き、ソファに腰掛けて僕は考えた。
勿論テーマは、(いつもより早く帰ることができた分の)時間の使い道についてである。このままゲームをやってから寝てしまっても良い。それは、酔っているにしては比較的まともな考えだった。サッカーゲームならば4試合位くらいは消化できるだろう。それからシャワーを浴び、テレビを見ながらゆっくりしても、丁度よい時間に寝ることができる。

うん、悪くない。でも、普通だ。それでは、きっといつも通りに帰ってきたときと何一つ変わらない。僕は、何かこう、早く帰れた特権のような、「とくべつなこと」をしてみたかった。

そんな時、窓の向こうに青白く煌々とそびえるビルを見て、ふと思いついた。走ろう、と。丁度良い。酒の飲みすぎでたっぷりと蓄えた腹の脂肪も燃やさなければいけないと思っていたところだ。


僕は、寝巻き用に持っていたアディダスのウインドブレーカーのパンツと、お気に入りのフレッドペリーの紫のジャージを着込んだ。寒くないように、首には手拭いをマフラー代わりに巻いた。恐らく、寒さはこれで問題無いだろう。問題はどう走るかだ。普段、車を運転しない僕は、都内の道には明るくない。が、知らない道を歩くことは病的に好きだし、そのことに関しては、ちょっとした権威だという自負もある。とりあえず走ってみて、迷ってから考えよう。そう思った。


それにしても、目印になるようなものはあった方が良い。少し考えたが、すぐに答えは出た。六本木ヒルズだ。まずはそこまで走ることにした。その時、時間は23:30だった。


家は六本木通り沿いにあるので、家からヒルズまでは一本道でいくことができる。マンションの玄関を出ると、簡単に屈伸とアキレスを伸ばし(それは久しぶりの動きだったので、ちょっと窮屈だった)、左足から一歩を踏み出した。

足取りも軽やかに、青山トンネルを通過する。昼間ならば敬遠したくなるような、トンネル内のむせた様な空気も、深夜のせいか、あまり感じられない。そのまま六本木通りを直進する。タカギチョウの交差点を抜けても、まだ走る。メロスは友のために走ったが、僕の走りは何の為でもない。
やがて西麻布の交差点が目の前に広がってくる。前方の青白い巨大なビルは、より一層その存在感を僕に示している。西麻布の交差点までは緩やかな下りになっていて、心なしか足も早まった。それは僕に、京都の第3コーナーから第4コーナーに掛けての、あの勾配を思わせた。西麻布の交差点は、いつもよりも賑わいは無く、どちらかというと閑散とした不気味さすら感じさせた。そんな中を、六本木方面へひた走る男、一人ありき。

タカギチョウから西麻布までが下りであったように、西麻布から六本木まではゆるやかな上りになっている。それは自然の摂理である。下りあれば上りあり。やや息を切らしながらの登坂。そしてやがて右手に現れた。六本木ヒルズ。その神々しく光る東京の新たなるランドマークは、その背景に東京タワーを従え、その輝きを増して見えた。
しかし、そんな景色にも、メロスの足は止まらない。ここは、言ってみれば第一中継所。ハコネで言えば、丁度平塚あたりだ。まだ往路の途中。ハコネの山越えもまだだし、復路もこれから道を定めなければいけない。


僕は六本木の交差点で左に舵を切った。外苑東通り。オーケー、予想通りだ。ここまで来れば直感で道が分かる。ここを抜ければ246にぶつかるはずだ。交通標識には惑わされない。自分のみを信じる。トラスト・オンリー・ミー、の精神は健在だ。幾つかの分岐点を僕はノータイムでパスし続けた。そして越える、ノギザカ・ステーションを。千代田線は乃木坂の駅の上を、深夜24時に一人で走る太った男は、きっと今しか見られないはずだ。

その男の英断は、やがて実りとなる。目の前に現れた青い交通標識の直進が指す文字。青山通り(246)。来やがった。そしてここで知る、その道程は丁度折り返しを少し過ぎたということを。目の前に広がる外苑の緑。僕は確信する。レースは最後の直線に入ろうとしている。その時、一瞬、第4コーナーの大欅を馬なりでパスしていった98年のサイレンススズカが蘇えった。そして僕は突き当たりを左折し、青山通りに入った。最後の直線だ。良くここまで来た。


世界のHONDAのビルがある交差点で、僕は信号に足止めを食らってしまった。そういえば、走り始めてから一度も信号に躓いていないことにここで気づいた。角にあったampmの店内の時計はこのとき、24:05を示していた。35分。家を出てから今までの時間だ。予想よりもちょっと早い。そして信号は青に変わる。左手に、HONDA、SCEのビルを従え、僕は青山一丁目の駅を越えた。あと2駅。残り400のハロン棒を越えた。


青山一丁目から外苑前までは比較的近かった。伊藤忠の巨大なビルが右手に潜んでいること以外は、特筆すべきこともない。そして同じく右手に見えてきた。ベルコモンズだ。外苑前の風物詩。青山の象徴といっても過言ではない。僕はその前を流れる外苑西通りの大河をたったの10歩で渡った。決して左折はしない。逃げはノーサンクスだ。ただ直進。あと一駅。


ゴールはあっけなくやってきた。僕はさっきよりも少し小さくなったストライドを目一杯滑らせ、表参道の交差点を通過した。ついに帰ってきた、マイホームタウン。渋谷区を出た男が、港区で日付を変え、そしてまた渋谷区に戻ってきた。サマンサタバサを1秒で置き去りにし、ライズスクエアを一気に交わした。力強いその足取りは、在りし日のナリタブライアンを彷彿とさせた。着実に、確実に一歩づつゴールとの差を詰めていった。スパイラルビルを越え、ついに骨董通りまでやってきた。ゴールはすぐそこだ。僕は青山学院の正門をゴールにしようと決めていた。骨董通りを越え、青学の敷地に沿って走る。目の前に高くそびえるセルリアンタワーが、心なしかいつもよりもぼんやりと高く見える。僕は帰ってきた。


青山学院の正門まで着くと、僕はペースを緩め、やがて歩き出した。

深夜の箱根駅伝。即席のマラソンマン。


そして、僕は家に着くと、ペプシコーラを一気に喉に流し込み、パソコンへ向かった。

もはやブロガーではないのだが

前回の更新から丁度2ヶ月が経過していて、

もはや、ブロガーと呼ぶには恐縮なほどの更新頻度である。


更新しなかったのには100個くらい理由があって、

1つ目は書くべき事がなかったのと、2つ目は書くべき時間がなかったのと、あとは98個くらいの瑣末な理由である。

ただ、この週末に於いては少なくとも2つの理由はクリアになる。

書くべき事と、書くべき時間ならばある。


といっても、また有馬記念一辺倒になっては芸が無いので、他のことも書こうと思う。


今しがた、本当に楽しみにしていたテレビを見終わった。

東京ワンダーツアーズ。小山薫堂の仕事である。

この夏に第1回の放送を見てから、今日という日を本当に楽しみにしていた。奇しくも、イヴである今夜は残念なくらい予定がなかったので、0:50を心待ちにしていた。相変わらず良いドラマでした。


インフォマーシャルの手法で、ドラマとCMをシームレスに繋いでいく手法もさることながら、素敵なのは、前回に負けるとも劣らない東京の魅力。東京は実は良い街かもしれません。ロストイントランスレーションとはまた一味違う、東京のコアな魅力が凝縮されていて、相変わらず小山薫堂ワールド全開といったところ。


氏の番組は個人的にかなり好きで、今やっているものでは、ニューデザインパラダイスは毎週必見しており、以前TV朝日でやっていたトリセツも大好きだった。


この人の番組のすごいところは、一目見ただけで、

「あ、これはきっと小山薫堂だな」と思わせるトコロ。


仕事のアウトプットを見ただけで、誰の仕事か分かる、というのは本当に凄いことだと思っていて、それはつまり仕事そのものがその人のカラーとして世間に(もしくは特定個人に)認知されている証拠だからである。小山薫堂の場合は、本当にその色が濃く出ている気がする。

生き方も仕事も含めて、憧れる大人の一人である。


と、とりとめの無いことを書いていたら、何を書きたかったかを忘れたので、そろそろやめようと思う。メリークリスマス。

夢の終わりは、新たなる夢の始まり。

中山競馬場は、もはやパブリックビューイング化していて、大歓声が渦巻いていました。


ディープインパクト。やりました。三冠達成。

この馬をデビュー前から一年半見てきて、ずっと夢見ていた瞬間です。

直線は鳥肌が立ちっぱなしで、もうどうしようもありませんでした。


テレビの実況でゴール前に馬場アナウンサーが言っていた、

「日本近代競馬の結晶」というのは本当にそうだと思う。


武豊という、長い日本競馬史を紐解いても凡そトップであろう天才と、

日本競馬会を牽引し、世界と対等に渡り合うオンリーワンの存在、社台グループ。

そして、その社台が日本に導入し、歴史を塗り替えた大種牡馬サンデーサイレンス。


その全ての結晶がディープインパクトではなかろうか。

サンデーサイレンスは、最後にとんでもない化物を遺していったと思う。

三冠を達成してしまえば、それはもはや通過点でしかない。

次にJCでロブロイを倒してしまえば、国内に敵は不在。


三冠という夢が完結し、また新たなる夢が始まる。

シンボリルドルフが、サクラローレルが、エルコンドルパサーが

君臨する事ができなかった世界の頂点へ向けて来年は海外へ行って欲しい。


アメリカが産んだサンデーサイレンストいう稀代の名馬は海を渡って昇華され、

その子供が世界に還っていくときだと思う。


おめでとう、ディープインパクト。


一生に一度の夢物語

いよいよこの日が来たか、という感じです。

興奮して眠気すら起こりません。

遂に2005年10月23日を迎えてしまいました。


現地観戦は叶いませんでしたが、

明日は中山競馬場で号泣しようと思います。


心機一転。

入社から半年が経ちました。


つまり、社会人になって半年です。

毎日が判で押したように同じ生活だった大学生時代から比べれば、

今日は昨日とは違い、明日はまた今日とも違う今の生活は、

とても刺激的で、息を切らしている暇すらない状態です。


ドッグイヤーと呼ばれる業界で、

他所では出来ないような経験を、

他所では出来ないような時期に、

他所では出来ないような形でできているのかもしれません。

やはり、新卒で入社するには最適の環境でした。


この半年を振り返っても、4月の入社式の自分は遥か向こうにいます。

或いは、少しは前に進めているのかもしれません。

あくまでも感覚値ですが。


昨日付けで部署内異動があり、グループが変更になりました。

自分を今まで育ててくれたグループ(と、そのmgr、ldr)への恩返しも込めて、

心機一転頑張ろうと思います。


上司曰く、「環境の変わり目はチャンス」。

肝に銘じたいと思います。


ブログって書くこと無いなあ。


May the force be with you.

遂にというか、やはりというか、昨日買ってしまいました。

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX

もちろん昨日は家で、一人オールナイト上映会をやったのは言うまでも無く、

23時から明け方の6時までぶっ続けで鑑賞。


そもそもの発端は、先週やっとEPⅢを見に行くことができて、

テンションも最高に上がっていたところで「Ⅳ~Ⅵも久しぶりに見よう」

(昔に一回ずつくらい見ただけで、ちゃんとは覚えていなかったし)

と思ったのが発端だったが、SHIBUYA TSUTAYAでは全て貸し出し中だし、

見たいけど見れない、というジレンマを数日抱えた結果、

完全にダークサイドに引き込まれました。


TSUTAYAの一回で颯爽と商品(サンプルなのでレジで商品と交換)を手にレジへ。

10,000円の商品を二回という惨めな支払方法にて清算。


家に帰り、シャワーを浴びる。

もちろん、心ここにあらず。

DVD見たさ一心です。


最高でした。

やっぱり途中内容とか忘れてるところもあって、かなり新鮮。

これは門外不出の宝となりそうです。


May the force be with you.

あと1つ。

無敗三冠馬へ インパクト快勝 [new]


GⅡの神戸新聞杯を勝って、Y!のトピックスに出ちゃうとは、

さすがディープインパクト。


今日は仕事があって会社に出て居ましたが、途中で抜けて新宿ウインズに行きました。

GⅡだっていうのにすごい人だかりで、

この馬に掛ける期待や希望の大きさを感じざるを得ません。


レースは全くもって危なげの無い内容。

4コーナーで大外を回って先頭に踊り出たときは、体中鳥肌が立ちました。


一年半前、仲間内のPOGのドラフトでの馬を指名したときは、

完全にアゲインストな空気が流れていましたが(兄のブラックタイドが微妙だったから)、

今となってはこの馬を指名できたのが不思議でなりません。


もはや僕のPOG馬ではなく、

日本の競馬ファン全体の期待を一身に背負う存在となりましたが、

10月23日、淀のターフで必ずや歴史的快挙を成し遂げてくれることを祈ります。


三冠へ向かってあと一つ。


鉄砲 【2・0・1・0】

一ヵ月半の短期放牧明け。鉄砲 【2・0・1・0】。

気性が勝ったタイプなので休み明けは不問だが、未だ絞りきれず。

大目標はこの先で、一度叩いて変わり身あれば。と言ったところ。

ここは見が正解。


恐らく今の僕を競馬新聞が評したらこう書くだろう。


天高く、馬肥ゆる秋。

僕もまた然り。


さて、一ヵ月半ぶりの更新です。

『もはや、ブロガーではない』という1956年の経済白書の様なコメントも飛び出す始末ですが、

ディープインパクトも帰ってくるし、久しぶりに更新してみよう、と。


振り返れば、もう夏もお終いに差し掛かってきています。

去年の夏はロンドンに居ました。それが嘘のように遠く感じ、懐かしくもあります。

70余本のカールスバーグの空き缶は、永遠の思い出です。


初めて学生ではない立場で夏を迎え、改めて夏が嫌いになりました。

そもそも、僕は夏が全く好きではない僕ですが、社会人になると尚更です。

アポの帰りに、夏休みを謳歌するように渋谷の町を埋め尽くす人の波を見ていると、

ハンパじゃない郷愁感に襲われます。

戻ることの出来ない時間に憧れと後悔を抱くのは、きっとその時間が輝いていたから。

でも、別に昔に戻りたいとは思わないのは、きっとその昔の生活にも辟易していたから。

どんなに良い環境も、それに慣れてしまえばあとは飽きが来るのを待つだけなのかもね。


そんなときに読みたくなる本がある。

勿論、村上春樹の『風の歌を聴け』

村上春樹の殆どの作品に通じる永遠のテーマである、喪失をただひたすらに描く作品。

時間とお金と友人と大切なものをなくし続ける素敵な小説。


この作品は20年前に映画化されたのが、今週22日にDVDで再販になるらしい。

映像化されたものを見たことは無いので、イメージと違ったらちょっとショックだが、

既にアマゾンで予約をしてしまったのは言うまでも無い。


それよりも困ったことは、久しぶりのエントリーなのに全く内容が無いことだ。

やれやれ。


更新。

今月もやって参りました。

月イチ行事ともなりつつありますブログの更新日。

もはやブログという体裁だけは持ちつつも、

ただの落書き帳にならんとしておりますが、以下本文。


===

昨日、夜の12時くらいから友人と飲んでいました。

中高時代の友人なのですが、今、彼は作家をやっています。


「作家」という肩書きにはかなり自己申告的なニュアンスがありますので、

彼の立場を厳密に社会的に評価するならば、所謂NEETにあたるのでありましょうが、

僕は彼を、立派な作家だと思っています。


高校時代から文才に長け、モノを書くことを生業とすることを望んでいた彼は、

江古田にある結構有名な大学の、結構有名な芸術学部に入りました。

そこで彼は、大学内で取ることのできる賞という賞を総なめにしました。


そんな折。

卒業後の進路(就職など)を決めなければいけないタイミングに差し掛かったとき、

僕と彼は池袋のどこかのビルの地下にある、

気の利いた和食のおつまみと、飲めないくらいに熱い熱燗を出してくれる店にいました。


彼は、切り出しました。

「俺はやっぱり書いていくことにする。

なんかさ、書く時間が作れそうな楽な仕事に就いてもいいんだけど、

結局、その僅かな働いている時間ですら勿体無いんだよね。

その時間でさえ、書いていたいと思う。」

彼はそんなことを言っていたと思います。


それから相変わらず年に何回か会って酒を飲むのと、

年に何回か送られてくる彼の新作を心待ちにしていました。

僕は、基本的に村上春樹以外に読書はしないけれど、

彼から送られてくる作品だけは必ず読んでいまいた。


そんな彼と、昨日飲んだ。


彼は今焼き鳥屋のバイトで生計を立てながら、僅かな睡眠時間以外の時間を執筆に当て、

阿佐ヶ谷の古いアパートの6畳の和室に置いた申し訳程度の小さなちゃぶ台の上で、

パーカーの万年筆を滑らせている。


第21回太宰治賞、一次審査を突破したことを彼は淡々と語った。

「出したのは、今考えればイマイチの作品だった。

締め切りが大分昔だったからね。今ならもっと行けるよ。」と。


とても蒸し暑い畳部屋で、僕も同じことを思った。

こいつなら、もっと行けるよ、と。


ビールの酔いが回りすぎて、

3時くらいには2人とも気を失っていた。



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