一日遅れの箱根 | 雨上がりブログ

一日遅れの箱根

乱暴な表現が許されるならば、今日という日は(つまり2006年の1月4日は)、僕は僕自身の中で、1日遅れの箱根を走っていたということができるかもしれない。


これは、2006年の1月4日23時30分から翌0時30分にかけての、東京のとある街での物語である。


1月4日。正月が明け今日より仕事が始まったが、予定よりも3時間くらい早く仕事が終ってしまった。帰り道に仲間と一軒寄り、十分すぎるほどのつまみを肴に、限界まで冷えたビールを2杯ほど(それは2杯とも見事に限界まで冷え切っていたのだ)、渇いた喉に流れるように喉に流しても、家に着いたのは11時20分。驚異的な早さである。


家に着き、ソファに腰掛けて僕は考えた。
勿論テーマは、(いつもより早く帰ることができた分の)時間の使い道についてである。このままゲームをやってから寝てしまっても良い。それは、酔っているにしては比較的まともな考えだった。サッカーゲームならば4試合位くらいは消化できるだろう。それからシャワーを浴び、テレビを見ながらゆっくりしても、丁度よい時間に寝ることができる。

うん、悪くない。でも、普通だ。それでは、きっといつも通りに帰ってきたときと何一つ変わらない。僕は、何かこう、早く帰れた特権のような、「とくべつなこと」をしてみたかった。

そんな時、窓の向こうに青白く煌々とそびえるビルを見て、ふと思いついた。走ろう、と。丁度良い。酒の飲みすぎでたっぷりと蓄えた腹の脂肪も燃やさなければいけないと思っていたところだ。


僕は、寝巻き用に持っていたアディダスのウインドブレーカーのパンツと、お気に入りのフレッドペリーの紫のジャージを着込んだ。寒くないように、首には手拭いをマフラー代わりに巻いた。恐らく、寒さはこれで問題無いだろう。問題はどう走るかだ。普段、車を運転しない僕は、都内の道には明るくない。が、知らない道を歩くことは病的に好きだし、そのことに関しては、ちょっとした権威だという自負もある。とりあえず走ってみて、迷ってから考えよう。そう思った。


それにしても、目印になるようなものはあった方が良い。少し考えたが、すぐに答えは出た。六本木ヒルズだ。まずはそこまで走ることにした。その時、時間は23:30だった。


家は六本木通り沿いにあるので、家からヒルズまでは一本道でいくことができる。マンションの玄関を出ると、簡単に屈伸とアキレスを伸ばし(それは久しぶりの動きだったので、ちょっと窮屈だった)、左足から一歩を踏み出した。

足取りも軽やかに、青山トンネルを通過する。昼間ならば敬遠したくなるような、トンネル内のむせた様な空気も、深夜のせいか、あまり感じられない。そのまま六本木通りを直進する。タカギチョウの交差点を抜けても、まだ走る。メロスは友のために走ったが、僕の走りは何の為でもない。
やがて西麻布の交差点が目の前に広がってくる。前方の青白い巨大なビルは、より一層その存在感を僕に示している。西麻布の交差点までは緩やかな下りになっていて、心なしか足も早まった。それは僕に、京都の第3コーナーから第4コーナーに掛けての、あの勾配を思わせた。西麻布の交差点は、いつもよりも賑わいは無く、どちらかというと閑散とした不気味さすら感じさせた。そんな中を、六本木方面へひた走る男、一人ありき。

タカギチョウから西麻布までが下りであったように、西麻布から六本木まではゆるやかな上りになっている。それは自然の摂理である。下りあれば上りあり。やや息を切らしながらの登坂。そしてやがて右手に現れた。六本木ヒルズ。その神々しく光る東京の新たなるランドマークは、その背景に東京タワーを従え、その輝きを増して見えた。
しかし、そんな景色にも、メロスの足は止まらない。ここは、言ってみれば第一中継所。ハコネで言えば、丁度平塚あたりだ。まだ往路の途中。ハコネの山越えもまだだし、復路もこれから道を定めなければいけない。


僕は六本木の交差点で左に舵を切った。外苑東通り。オーケー、予想通りだ。ここまで来れば直感で道が分かる。ここを抜ければ246にぶつかるはずだ。交通標識には惑わされない。自分のみを信じる。トラスト・オンリー・ミー、の精神は健在だ。幾つかの分岐点を僕はノータイムでパスし続けた。そして越える、ノギザカ・ステーションを。千代田線は乃木坂の駅の上を、深夜24時に一人で走る太った男は、きっと今しか見られないはずだ。

その男の英断は、やがて実りとなる。目の前に現れた青い交通標識の直進が指す文字。青山通り(246)。来やがった。そしてここで知る、その道程は丁度折り返しを少し過ぎたということを。目の前に広がる外苑の緑。僕は確信する。レースは最後の直線に入ろうとしている。その時、一瞬、第4コーナーの大欅を馬なりでパスしていった98年のサイレンススズカが蘇えった。そして僕は突き当たりを左折し、青山通りに入った。最後の直線だ。良くここまで来た。


世界のHONDAのビルがある交差点で、僕は信号に足止めを食らってしまった。そういえば、走り始めてから一度も信号に躓いていないことにここで気づいた。角にあったampmの店内の時計はこのとき、24:05を示していた。35分。家を出てから今までの時間だ。予想よりもちょっと早い。そして信号は青に変わる。左手に、HONDA、SCEのビルを従え、僕は青山一丁目の駅を越えた。あと2駅。残り400のハロン棒を越えた。


青山一丁目から外苑前までは比較的近かった。伊藤忠の巨大なビルが右手に潜んでいること以外は、特筆すべきこともない。そして同じく右手に見えてきた。ベルコモンズだ。外苑前の風物詩。青山の象徴といっても過言ではない。僕はその前を流れる外苑西通りの大河をたったの10歩で渡った。決して左折はしない。逃げはノーサンクスだ。ただ直進。あと一駅。


ゴールはあっけなくやってきた。僕はさっきよりも少し小さくなったストライドを目一杯滑らせ、表参道の交差点を通過した。ついに帰ってきた、マイホームタウン。渋谷区を出た男が、港区で日付を変え、そしてまた渋谷区に戻ってきた。サマンサタバサを1秒で置き去りにし、ライズスクエアを一気に交わした。力強いその足取りは、在りし日のナリタブライアンを彷彿とさせた。着実に、確実に一歩づつゴールとの差を詰めていった。スパイラルビルを越え、ついに骨董通りまでやってきた。ゴールはすぐそこだ。僕は青山学院の正門をゴールにしようと決めていた。骨董通りを越え、青学の敷地に沿って走る。目の前に高くそびえるセルリアンタワーが、心なしかいつもよりもぼんやりと高く見える。僕は帰ってきた。


青山学院の正門まで着くと、僕はペースを緩め、やがて歩き出した。

深夜の箱根駅伝。即席のマラソンマン。


そして、僕は家に着くと、ペプシコーラを一気に喉に流し込み、パソコンへ向かった。