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22nd 2月22日

今日は特にする事がなかったので、免許を取りに行った。

朝の八時半には試験場に着き、受付を済ませた。
徹夜で勉強した学科試験にあっさり受かると、
とても退屈な流れ作業を経て、免許が交付された。
そんなベルトコンベアな一日だった。
自動車の気持ちが少しだけ分かった気がする。少しだけ。

免許の中の僕は、徹夜明けの眠気と、
流れ作業の恐ろしいほどの退屈さのせいで、
自分でもがっかりするくらい無関心な表情を浮かべていた。

何に対する無関心かまでは分からないけれど、
明らかに無関心であることを主張している表情だった。

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この10日間で、村上春樹を四冊ほど再読した。
風の歌を聴け、1973年のピンボール、羊をめぐる冒険(上下)。

ストーリーはもう知っているのだが、
読後感だけは何度読んでも相変わらず新鮮なまま。

これだけで白いご飯が四杯くらい食べられる。


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明日から旅行に行く。
ねじまき鳥クロニクルをカバンに入れた。
去年の夏にロンドンに行ったときは、海辺のカフカだった。
ハードカバーで上下巻持って行ったから、重くて困ったものだ。

良い旅行になるといいと思う。

文房具。

文房具について書く。

僕は文房具が好きだ。
一番好きな文房具屋は、銀座の伊東屋
入店してすぐの階段を数段上った中二階の万年筆売り場で、
早速テンションはトップギアに入る。

モンブラン、ペリカン、デュポン、憧れの万年筆たちがそこに居る。
"見ているだけでも幸せになれるモノ"が世の中にはいくつかあって、
そして、僕にとって万年筆とはそういう存在である。

僕は日常的な筆記用具として万年筆を使っていて、
現在3本の万年筆を所有しているがどれもあまり高価なものではない。

なので、18金や24金のペン先に華美な装飾がしてあって、
その撓る様なペン先からインクが流れるのを想像すると、
その未だ知らぬ書き心地にワクワクしてしまう。

勿論、頑張れば値段的には手は届くが、
果たしてそれを手にする資格が、僕にあるかどうか。

万年筆には、値段以上のパワーがあると思う。
持ち主がペンの力に負けてしまっては決まりが悪い。
自分の器は万年筆を受け入れられるのかどうか。
僕はその微妙なバランスの上に居る気がするのだ。

かつて、松本清張は、モンブラン149のことを、
「自らの右手」のような存在と喩えた事があったそうな。

僕も、いつか自分の右手と呼べる万年筆を持ちたい。

一週間。

あちこち行ってました。
ひとまずその記録。

火曜日。
恵比寿で、大学で受講していたセミナーでお世話になった先生と食事。
かつて出版社で編集者をしていた方で、面白い話を色々聞く。
今度はゴールデン街に連れて行ってくれると約束。
深夜から、高田馬場にて友人と麻雀。

水曜日。
朝まで麻雀する中で、卒業旅行に行こうという話になる。
おいしい魚が食べたいなあ、という話になり、即実行。

麻雀が終わって、睡眠を取らないまま朝9時にレンタカー屋に。
車を借りて、友人と3人でノープランのまま旅行に。
試行錯誤の結果、目的地は千葉県は銚子に決定。

昼過ぎに到着すると、銚子駅前の定食屋でおいしい定食を頂く。
その後、本州最東端の岬・犬吠崎まで車で行き、
片っ端から宿に電話を掛け、ひとまず宿舎を確保。
犬吠崎灯台のすぐ隣にあり、露天の温泉も完備の「なぎさ本店」に決定。

その後、地元の人に尋ねて、おいしい寿司屋を聞く。
夕食はその寿司屋へ。お腹一杯寿司を食べる。
うにとえんがわが最高でした。
ビールを買って帰り、飲んで寝る。

木曜日。
朝起きて、犬吠崎灯台に登ったあと、
「地球の丸く見える展望台」という所に行く。
曇っていたので視界は悪かったが、360°の景色は圧巻。
晴れていれば、水平線・地平線が丸く見えるらしい。

昼食は、昨日と同じ寿司屋へ。
もう一度寿司をお腹一杯食べる。
やっぱり、うにとえんがわとつぶ貝と大トロが最高。

その後帰路へ。
九十九里沿いを少しドライブした後、内房へ入り、東京へ。

夕方5時からバイトだったので、
バイト先の近所で車から下ろしてもらい、バイトへ。
丸二日間殆ど睡眠をとっていないので、眠くて仕方ない。
10時までなんとか耐えて、渋谷に帰宅。

即寝る。

金曜日。
10時に起きて、友人とドリームゲートのイベントに行く。
有楽町で待ち合わせて、吉野家の牛丼を食べる。
勿論行列が出来ていて、予想通りテレビカメラが来ていた。
ちょっと並んで中に入る。
「並・ツユだく・ネギだく」を注文したら、ネギだくを拒否される。
意味が分からない。渋々、ツユだくに。
食べ終わって、「牛丼ファン証明書」みたいなのを貰う。

その後、ドリームゲートのイベントで講演を聞く。
経営者の話を聞けるという点で、一年前の就職活動を思いだした。
ライブドアの堀江さんと柔道の古賀さん対談での、
「世の中で常識とされていることと、モノの真理は一致しない」
という堀江さんの言葉が印象的。

この手の講演は、聞きながら頭から鵜呑みにせずに、
自分の意見を持つようにしているが、これには賛成できる気がした。

その後、藤田さんとT&Gの野尻さんの対談や、
オプトの鉢嶺さん、ネクシィーズの近藤さんの話などを聞く。
有意義な時間が過ごせた。

久しぶりに実家に帰り、ぐっすり寝た。

誕生日。

昨日は僕の誕生日だった。やっと22歳。

で、学生で迎える最後の誕生日だし、
誕生日特典がある店を巡ってみようと思い、早速グーグル。

[誕生日 特典]と検索すると、
0.06秒で結果を弾き出したグーグル様のトップにはこれが。

これはなかなか面白そう。
しかもご丁寧にルートを組んでくれてあるぞ!ありがたい。
ということで、










行ってきた。










まず東京タワー。

事務的な祝福を受け、色々とプレゼントを貰う。
展望台までのチケット、ケーキ引換券、非売品のバースデーカード。

ありがたい。さっそく大展望台まで上る。

午後四時半の夕陽が、新宿西口のビル群に落ちていくのを横目に、
「これ、エヴァンゲリオンみたいだなー」と思いながら、
無料で頂いたチーズケーキを頬張る22歳の男あり。
いやー、おいしい。

これは余談だが、僕はチーズケーキが大好きだ。

三度の飯より好きだから、いっそのこと、
三度の飯がチーズケーキだったらいいとさえ思う。

そもそも、ここのカフェの男も、
「チョコレートケーキとチーズケーキ、どちらになさいますか?」
とか聞く必要がない。愚問だ。選択肢の提示すら不要だ。


チーズケーキをありがたく完食すると、次の目的地へ。

お台場だ。ジョイポリス。

浜松町からバスで行く。楽でいいなー。

ジョイポリスの入り口で、今日二度目となる保険証の提示をし、
今日二度目となる事務的な祝福を受け、
パスポートとアイスクリームの引換券を貰う。

ここに来たのは二度目だが、感想は依然として、
「ちょっとやりすぎたゲームセンター」。
でも、タダで遊ばせてもらえるなんてありがたい。
セガサミー様々ですよ、ほんとに。

最後に、出口でつぶつぶのアイスクリームを貰って食べた。

形は、梱包とかで使う発泡スチロールのつぶつぶみたいなのに、
味はちゃんとアイスなので奇妙。チョコミント味を頂く。

時間も良い具合になってきたので、ご飯を食べ、帰って来ました。

こういう誕生日の過ごし方もあるんですね。
なかなか楽しかったです。

日曜日。


今日は、朝の九時から地元の教習所に行き、卒検を受験した。

足踏みすることなく、一発でクリア。

去年から背負っていた肩の荷もやっと下り、
一安心したところで、そのまま自転車で中山競馬場へ。
既に午後三時を過ぎていたので、もう終盤だが、
メインレースと最終が買えれば文句は言えまい。

馬券は、東京のメインと小倉の最終を射抜くも、
収支的には、ほぼプラマイゼロ。まあ良い。こんなもんだ。

そして、自転車に乗って家に帰る。
その道すがら、頭の中で今日のレースをリプレイする。
一週間に一度訪れる、ルーティンな時間の浪費。
ただでさえ憂鬱な日曜の夕方を、より憂鬱にする方法。


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ところで、僕は競馬場が大好きだ。

何というか、あの空気には何とも言えない魅力がある。
ある程度競馬をやる人ならば、或いは分かるかもしれないが、
競馬場の雰囲気というのは、
山登りのそれに通じるものがあると、僕は思う。
勿論、美化しすぎな感も否定しないが。

ただ、その二者の間には、確実に共通項が存在している。
それは、そこに集まった人間の「目的意識が同じ」だということ。

競馬場に集まる人たちの殆どは、馬券を取りたいと思っているし、
山道で出会う人の多くは、頂上にまで登りたいと思っている。

よく、登山をしている時に、すれ違う、見ず知らずの人と、
「上までもう少しですよ、頑張ってください」みたいな
会話を交わす事があるが、あれこそ正に、
目的意識の共有から来るものに違いない。

山という、ある種現実から隔離された特殊な状況において、
自分と同じ境遇の人に対して仲間意識が湧くのだと思う。


競馬場もまた然り。


僕は一人で競馬場に行く時は、大体、知らないオッサンと話す。
どちらからともなく話しかけ、そして馬の話をする。

次のレースに出る馬について、パドックと新聞とを交互に睨み、
無責任な意見を投げあい、あれこれと評論する。
お互い、真剣に意見を求め合っているわけではないし、
勿論、そのオッサンと同じ馬券を買うわけでもないのに、
そこには不思議な連帯感・仲間意識が生まれている。

そして、そのオッサンとは数分間の邂逅の後、
挨拶もほどほどに別れる。
ほんの少しの会話の余韻と、オッサンの買い目だけが頭に残り、
それ以外は何も残らない。一切。

一見すると、このドライで刹那的な人間関係は、
凡そ無意味であるように思えるが、僕はとても好きだ。

かと言って、常にドライな人間関係を求めている訳では勿論無い。
寧ろその逆で、そういうのは苦手な方なのだが。

ただ、競馬場という特殊な空間において、
一人の見知らぬ人間とほんの一瞬だけ交錯するってのは、
ちょっと異様で、ちょっと心地良いものです。




と言っては、毎週競馬場に行く俺・・・_| ̄|○ 

友人。


今日は、高校時代からの友人と二人で飲みに行った。

「世界の山ちゃん」という店。

名古屋では相当有名らしく、
最近関東にも進出してきた飲み屋らしい。

メニューが、いかにも"名古屋然"としている事を除けば、
普通の大衆的な居酒屋といった印象。
でも、六時の時点で既に結構な行列が出来ていて、ちょっと驚いた。

メニューは手羽先が人気で、
あとは海老ふりゃー(本当に、こういう名前の商品)とか、
所謂名古屋の"味噌系"のメニューとかが豊富だった。

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彼とは高校時代に通っていた予備校で知り合ったのだが、
そもそも、「予備校なんて友達を作りに行く場所じゃない」と
斜に構えていた僕に友達など出来る筈がなく、
実際に友達なんてこれっぽっちも出来なかった。
当然だけど、求めない者には与えられないわけです。

しかし、不思議なもので、「友達なんて必要ない」という
思想が共通項となり、僕と彼は友達になった。
なんともパラドキシカル。原因と結果が相容れない。
つまり、「友達を求めないもの同士」として意気投合し、
友達となったわけです。

卒業すると、彼は遠い大学に行ってしまったので、
年に何回かしか会うことは無かったのだけど、
彼がこっちに帰ってくるときは必ず飲んでいた。

僕に無いものを彼は持っていて、
彼に無いものを僕は持っている。
話しているだけでお互い刺激になる、
とても良い関係だと思う。

そんな彼が、就職活動を迎えた。
留学をしていたので、僕から一年遅れての就職活動だが、  
もう行きたい業界も企業も、あらかた決まっているという。

彼と話していると、一年前の自分を思い出し、
就職活動をしていた時の気持ちが蘇ってきて、
何となく身が引き締まる思いがした。

奇しくも彼の第一志望は、僕の行く会社ということだが、
彼が何処に行くことになっても、切磋琢磨し、
お互いのフィールドでがんばって居たいと思う。

そして、
そういう気持ちにさせてくれる友人を持てることは、
とても嬉しいことで、財産だと思う。

略称。

略称について書く。


キムタク、冬ソナ、いつここ、テレ東、
マツケン、みんゴル、アメブロ、ロンバケ、
モンパチ、おすピー、クドカン、テニサー、
マツジュン、日テレ、セカチュー、タンピン、
あいのり、ドルガバ、デパ地下、ハリポタ、
君が代、幽白、リクナビ、ハセキョー、・・・。


略称たち。一部、違うのも混じっているが・・。
まだまだ出てくる。

彼らは、殆ど例外なく、大体が四文字か、
或いは、母音が四つで構成されている。
たまに、ブラピ、とか、スタバ、とか三文字もあるが。

多分理由は、発音しやすい、とかなんだろうなあ。

僕は本来、こういう風に人や物の名前を縮めて言うのは
好きではなく、比較的避けてきた方なのだが、
最近、妙に羨ましくなってきた。


僕も、こんなキャッチーなあだ名を付けられてみたい。正直。

有言実行。

「有言実行率100%の男」

これは、かつて北島康介選手が世界水泳に出場した際に
付けられたキャッチフレーズだったが、強烈に印象に残っている。

「勝つ」と宣言して勝ち、「世界新を出す」と言って記録を出す。
僕は、彼のその姿勢がとても好きだ。

ともすれば、スポーツ選手にありがちな、
"ちょっと頂けない、単なるビッグマウス"なのだが、
彼は本当に結果を出す。

不言実行はかっこいいが、
有言実行はもっとかっこいい。
得られる結果は同じでも、「"有言"のプレッシャーに打ち勝った」
というプロセスは後者でしか得られない。

そうありたいと、常に思っている。

ローカルルール。

ルールについて書く。

【ルール】規則。通則。準則。例規。(愛読書の「広辞苑」より)

ルール、つまり、何某かの規定・規則を設けることによって、
大体の物事は、良い・悪いに判別できると思う。
あるいは、規定内・規定外という風にも。
もちろん、「良い・悪い」だけが判断の方法ではないことは承知で。

ルールが用いられるのは、大体は公の場であったりとか、
スポーツ(まあ、これも公だが)に於いてであるが、
僕は自分自身にルールを設けるようにしている。

ただ、プレイヤーは僕であり、
そのジャッジメントも僕が行うという、
近代スポーツのフェアネスとは程遠いものであるが。

でも、この場で文章にすることによって、
誰かの目に触れる・触れないとは別に、
自分への戒めともなると思うので、書く。
社会人となるに当たって、再確認すべき点。




ルール① 愚痴を言わない。

ルールと言っておきながら、結構難しい。
風雲たけし城の、横からバレーボールが飛んでくるやつくらい難しい。
いや、違うな。まあ、いい。とにかく難しい。

何故「愚痴を言わない」のをルールにしているかというと、
(誤解を恐れずに言えば、)どうも「愚痴を言う」という行動自体が、
自分の無力さ・無能さを自ら率先してアピールしている気
がしてしまうのです。

何かの折で、人からそう判断されるのは仕方の無いことですし、
是非奮起してその不名誉なレッテルを取り除かれたいのですが、
自らその称号を取りに行くべきではない、と。そう思うのです。

念のために言えば、僕が勝手にそう思っているだけなので、
愚痴を言っている人が無力で無能だというわけではないし、
愚痴を言う人を軽蔑したりするわけではありません、勿論。
あくまでも自分に対してのみ発動されるローカルルールですので。

そんな訳で、僕は愚痴を言いません。決して。
もし僕が愚痴っていたら、それはルール違反なので、減点です。
キップ切ってください。某、猛省致します。

ルール①と、書いておきながら、既に長文なので、
2番目以降のルールはまたの機会に書かせて頂きたいと思います。

この文章を書いて思ったのは、
これはルールというよりは、もはや努力目標であるという点と、
僕の比喩はまだまだ致命的に稚拙である、という二点ですね。
それが分かっただけでも収穫。

「声に出して読みたい日本語」

!注意!
ここから先には、かなりどうでも良いことが書いてあるので、
時間に余裕のある方、或いは、精神的にゆとりのある方のみ、
自己責任の下、閲覧してください。ご利用は計画的に。以下本文。







響きがいいですよね、電車男って。

発音してみたくなるんです。「でんしゃおとこ」って。
そういうことってありませんか?

愚問でした。
恐らく、世の中の成人男性の9割5分は、NOと回答するでしょう。
僕にはたまにあります。例えば、最近だと「マツケン」がそれです。

ここまでなら話は簡単です。
シムシティで街を壊すことくらいに簡単です。

難しいのは、「マツケンサンバ」は該当しないことなんです。
しかし、その判断は、僕の無意識下に於いて行われています。

つまり、マツケンとマツケンサンバ、
この2つの言葉の間には、僕の知らぬ間に深い溝ができている訳です。
ある部分では共有するものがあり、ある部分ではそうではない。
つまり彼らは、言葉の異母兄弟である、と。
そして、彼らを隔てるのは、言葉のイムジン川である、・・と。



ただ、僕にとっても、そんなこと本当はどうでもいいんです。
すいません。



ただ、これを読んだ後に、「でんしゃおとこ」って発音したくなった、
或いは、間違って発音しちゃった人が一人でも居れば、
僕がこのエントリーに要した無駄な時間は報われます。

当ブログでは、みなさんが見つけた「声に出して読みたい日本語」を
お待ちしております。あて先はこちらまで。
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